歌丸さんの愛した横浜で2500人が最後の別れ(日刊スポーツ)

2日に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患で亡くなった落語家桂歌丸さん(享年81)の告別式が11日、横浜・妙蓮寺で営まれ、落語界、芸能界関係者約1000人、ファン約1500人の計2500人が参列した。祭壇は横浜の海をイメージし、地元横浜の人々も数多く参列し、別れを惜しんだ。

【写真】背後で合掌する三遊亭円楽の姿に気づくと腰を上げる桂歌丸さん(14年撮影)

 歌丸さんは生まれ育った横浜をこよなく愛した。祭壇は青と白の花を約3000本使い、横浜の海をイメージした。家族葬とこの日の告別式、すべてを横浜で営んだ。亡くなった後、病院から葬祭場へ向かう時、歌丸さんを乗せた車は自宅周辺を回った。法名「眞藝院釋歌丸(しんげいいんしゃくかがん)」にある「眞」は、生まれ育った真金町への思いを込めた。

 横浜を離れたのは疎開していた戦時中だけ。三遊亭小遊三(71)によると、仕事場に近い東京に住むことを勧めた時に、歌丸さんは「横浜を離れたくない」と話したという。5代目古今亭今輔門下から桂米丸(93)門下に歌丸さんが移ってきた時のことを、米丸は弔辞で「『(今輔から)同じ横浜同士だし、面倒みてやって』と言われた」と明かした。横浜にぎわい座の設立にも尽力するなど、横浜とのきずなは強い。

 この日、一般ファンが献花するために用意されたテントからは人があふれ、告別式終了の午後4時を過ぎても献花に訪れる人がいた。地元からの参列者は多かった。横浜市の高原文吉さん(68)は「都内じゃなくて、ここで(告別式を)やってくれたことがうれしい」と話した。同市の小倉泉さん(49)は「私も闘病中。歌丸さんの『病気とうまく折り合ってやっていくしかない』という言葉を知って、落ち込まずにやっていこうと思った」と語った。

 「落語と落語のお客さまを残すことがはなし家の責任」と常々語っていた歌丸さん。落語はもちろん、お客さまも残したことを、参列者が物語っていた。

 ひ孫が大好きなひまわりが飾られた別室には、日本テレビ系「笑点」で着た着物や釈台、愛用の扇子、手ぬぐい、釣りざお、旭日小綬章などが展示された。モニターでは、最後の高座となった4月19日の「小間物屋政談」が流された。愛し、愛されたものに囲まれ、歌丸さんは旅立った。【小林千穂】

 ◆主な参列者 桂米丸林家木久扇中村吉右衛門泉ピン子林家こん平桂文珍笑福亭鶴瓶三遊亭円楽柳亭市馬金原亭馬生、林家ぺー、尾上松也林家たい平林家三平山田隆夫柳家喬太郎林家木久蔵大木凡人宇多丸